不幸なふりはしたくない

 

最近のストレス解消は

読書だ。

 

 

日常にノイズがまとわりついている。

それに嫌気がさす。

 

常にスマホ離さず

ブルーライトにさらされていること。

 

YouTubeiTunesの音に

耳が塞がれていること。

 

どれも自分が好きで

選んで行っている動作であり

習慣なのに

 

それらのノイズが

鬱陶しくたまらなくなることがある。

 

 

読書は孤独だ。

 

音もなく

もちろんスマホから手を離し

ながら食もしない。お菓子食べながらだったら本が汚れる。

 

無音の中で

活字と頭に浮かぶ情景だけが

そこにある。

 

 

 

それがなんとも心地よく

 

日常の雑音から

邪念から

 

心を落ち着かせてくれる。

 

特に価値観をぶっ壊されるような

自分の知らない世界へ導いてくれるような作品に

出会えた余韻は

 

言葉に表せないほどに

幸福に満ちいている。

 

 

 

 

自分自身が暗闇の中に扉を閉じた時

救いを求める方法がわからなく

 

エッセイにハマった。

 

 

どれも優しく心地よく

わたしの真っ黒な心にそっと寄り添ってくれるような

そんな優しいものばかりだった。

 

 

弱くて苦しい自分に

 

そんな自分でも大丈夫。

 

あなたはあなたらしく

そのままでも大丈夫だから。

 

 

そんな優しい世界に

わたしは逃げ込んだのです。

 

 

 

 

何回も何回も繰り返し

短い言葉を読み返す。

 

 

その度に

 

わたしは大丈夫。

必ず幸せになれる。

明日もわたしは生きるんだ。

 

 

積極的に生きる希望はないけど

この世界もきっと優しくて温かいんだ

とおまじないのような言葉を胸にしまった。

 

 

そんな魔法な言葉に

藁にもすがる思いで

何度も読み返した。

 

 

 

 

それから2年ほど経ったのだろうか。

 

 

 

最近の本を選ぶ基準?

というか思考といえば

 

わざと

この世界で生きづらい人をテーマにしている

作品が多いと気づいてしまった。

 

 

 

基本的な生きるに対するモチベージョンが

他人よりも低いのは明らかだったし

 

普通の人が「明日死ぬことに恐怖を感じる」という感覚が

正直わからない。

 

余命のある人が〜ならわかるのかな。

 

でも、きっと多くの普通の人は

まず「明日自分が死ぬ」なんてことを考えることなく

当たり前に明日が来ることを疑わず

未来があるんだ。

 

だから、そんなふうに

当たり前に未来に希望を持っている人が羨ましい。

 

そう思っていた数年前の自分すら羨ましいと思う。

 

 

でも、最近の小説を読むと

生きづらい人が多くいることを知った。

 

 

 

そっか、わたしだけが特別じゃないんだ、

わたしだけが変な人ってわけではないんだ。

 

 

安心したのか、

がっかりしたのか。

 

正直わからないし

 

やっぱりそういう本を求めているから

そう言う登場人物を多く目にするのかもしれない。

 

 

 

 

わたしってまだまともなのかもしれない。

 

 

隣の芝生は青い

 

って。

 

多分そうなんだろうね。

 

 

 

 

 

 

みんななんでも持っているように思える。

 

 

当たり前に未来を信じて

当たり前に愛されて

友達がいて恋人がいて。

 

 

 

未来はいらないし

血のつながらない異性から愛された記憶もない。

 

でもきっと友達はいるし

お金もある。だから自由に生きれる。

資格もある。仕事もある。

家族の愛も知っている。

 

 

十分なのかもしれない。

 

 

恋人がいなくて

愛されたこともないけど

 

それはある一つの愛の形を知らないだけで

 

 

でも、わたしはきっと

誰かを愛することはできる。

 

 

恋人がいないからって

わたしは愛される価値がない

って決めつけるのは良くない。

 

 

 

わたしだって大丈夫。

 

 

 

 

誰か異性に愛されて

家庭をもって。

 

 

それだけが人生の正解じゃない。

花道じゃない。

 

そう思いたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

話は戻るけど

 

こんな価値観だから

朝井リョウさんの「正欲」の冒頭の文章にすごく惹かれた。

 

 

そっか、当たり前に「明日がある前提」で世の中って続いているのか、と。

 

 

 

内容は

正直難しくてよくわからなかった。

 

 

でも、 「多様性」ってロゴみたい使う人とは

仲良くなれないって心に誓ったし

わたしもそうな軽々しく「今は多様性の時代だから」なんてもう言わない。

 

 

 

インスタのストーリーで楽しそうな

同世代を見ると心がやむ。

 

このご時世に、、

とかもあるし。

 

 

結婚報告や赤ちゃんの写真に

嫌気がさす。

 

 

これから世代的にも

どんどんそう言う投稿が多くなって

素直に喜べない自分にさらに嫌悪感を抱くのは

悪循環。。

 

それは、それで

上手く割り切れるようになりたいな。

 

 

 

あと、

新年早々玉砕したこと。

 

わたしの美化した記憶だけにいた彼が

リアルでストーリーにいると

なんだか混乱してしまう。

 

あと数ヶ月したら

そっとフォローを外すつもり。

 

やっぱり彼とわたしは

人生が交わることはないから。

 

もう友達にもなれないし

もちろんそれ以上にもなれない。

 

他人に何かを言われるのもめんどくさい

(まぁ、そんな言ってくる知り合いもいないけど)

 

 

絶対的な片想いであったこと。

わたしの執着だったことを

認めざるおえない。

 

 

リアルの世界に彼が存在することに

どこか不自然に感じるほど

やっぱり彼の存在はわたしにとって

夢のような

空想のような

そうだったと思い知る。

 

それにそれくらいの距離感が

ちょうど良かったのかもしれない。

 

後悔はないし

もう未練もない。

 

やるべきことは尽くしたが

彼から反応がない。

 

それが全て。

もう運命も奇跡も信じない。

 

 

 

 

 

わたしは今も

不幸なふりをするのが得意だ。

 

でも、きっとわたしだって

誰かにとっては恵まれている憧れのカケラかもしれない。

 

 

一番自分を不幸に落とし込んでいるのは

わたしだ。

 

 

世界で一番幸せになって欲しいのに

不幸の仮面を被せるなんて

なんて酷いんだろう。

 

 

 

仕事は嫌い

辛い。楽しくない。

 

 

でも、仕事しているわたしだけが

わたしではない。

 

 

他の時間は幸せでいよう。

 

人生長くないから

少しでも幸せなふりをしよう。

 

幸せでいよう。

 

また、明日からもわたしは幸せになる努力をしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

早くコロナが終わって

より自由になれますように。

 

大丈夫。

わたしはきっと世界で一番幸せになれる。

 

だってわたしにとっての世界とは

わたしの価値観で作り上げたものだから。

 

わたしが信じるものがわたしの世界だから。

だからわたしの世界でわたしは必ず幸せになれる。