私の尊いの概念

いつか必ず書きたい、残したいと思っていた内容を

やっとこそさ腰を上げて書き始めよう。

長いことが予想されるが

途中で脱線したり、跳んでみたり

どうなるかわからない。

真実に忠実に、誠実に書き続けられれば上出来だ。

 

前置きはさておき、本題に移ろう。

今回のテーマは

ずばり、推し遍歴だ。

 

世の中の人間には

アイドルや俳優、、ある意味リアルではない存在に

愛を捧げられる人間と

それらに興味を持たずに生きてきた人間と

二つに分かれるだろう。

もちろん私は前者である。

そして、前者はファンやATMと言われ、思われながらも

それぞれも価値観、信念に基づいて

推しへの愛を貫き通すのだ。

ひとつのファンダムとは言え、

推しへの愛や歴史、想い、その人の中での優先順位、、

ひとくくりにするのは難しい。

 

だから他人と推しへの愛や貢いだお金を比べたり

優劣をつけたりするには全くと言ってお門違いだ。

 

始まりはきっと勝手な片想いから始まるのだから。

 

はじめに断言しておこう。

私の推しは、BTSだ。

人生で最後で最強で誰よりも幸せでいてほしいと

眠るときには世界中の愛と優しさに包まれて

いい夢をみてほしいと

心から願う最愛のグループだ。

 

次に、私のミューズ。私史上最強の女神様。

ぺ・スジ(Suzy) *。

 

私のリアル彼氏枠。

パク・ヒョンシク。

全てが私のどタイプと言うか

私の好きな顔の平均であり、背格好、声のトーン

全てが惹かれる。

かっこいいよりもずっと惹かれる

タイプの人

ってことなんだと気づいたとき衝撃を受けた。

 

あとは私の癒しの存在を(順不同)

シンイェウン、キムジウォン、IU

ナムジュヒョク、アンヒョソプ、エナイフン

 

杉野遥亮北村匠海、坂口健太郎吉川愛ちゃん

 

雑食であり、熱しやすくて冷めやすい。

そんな私の推し遍歴を語り尽くそう。

 

中学生まではアイドルはもっぱら興味がなかった

ドラマは好きで見てたけど

役が好きだったくらいでそこまで引き込まれることはなかったように思える。

 

中学になり、一気に俳優に引き込まれていったが

ただかっこいいくらいだったに違いない。

その頃、本当に会いたいと願う程好きだった初代推しは

瀬戸康史、三浦翔平、山本裕典賀来賢人、、

何を隠そう、ドラマ:タンブリングの主要キャストだ。

彼らの出てるドラマはどれもすきだったなぁ

賀来賢人をみつけた、アスコーマーチ

山本くんの桜蘭高校、太陽と海の教室

瀬戸くんのあたしンちの男子、ドラマじゃないけどランウェイ⭐︎ビート、もしドラ

彼らの出てるドラマを片っ端から観ながら

共演者にどんどん惹かれていく楽しい推し活のはじまりだった。

並行して、韓国ドラマもちらほら観るようになり

あの頃は平日の夕方に地上波で何本も韓ドラが放送されて

韓ドラ好きとしてはいい時代だった。

 

順番は覚えてないが、

イケメンですね、宮、イタズラなキス、メリは外泊中、コーヒープリンス

こんなところだっただろうか。

イケメンですねから

日本でリメイクされると知り

原作が好きだからこそどんなもんじゃい

と思ってキャストを見ると

ええええええええええーーーーーーーって

大大ショック。ジャニーズドラマじゃん、、、

デビューの話題集めに使われるんかいって。

これが実は

本当の人生はじめての推し、オタ活の扉が開いた始まりだった。

 

そう、見事にキスマイにそれから4年間、愛とお金を捧げることになったのだ。

 

嫌いすぎて一周回って大好きになる現象はなんなんだろう。

彼らを好きになったのはデビュー日の2週間前くらい。

 

シルバーの衣装でよっしゃーって飛び跳ねてるニュースを

全く興味がない頃にうっすら?いや、ちゃんと覚えてるのは

どこかで何か惹かれる要素があったからなのかな。

美咲ナンバーワンの藤ヶ谷くんのビジュアルかっこいいなぁとも思ってたから

そのニュースであのギラギラした人だって気付けたに違いない。

そして私の人生最初の推し玉森くんは

かつて好きの真っ逆にいた嫌いで憎くて本当に納得できない存在そのものだった。

悪口しか出てこないほど嫌っていたのもある意味興味の裏返しだったのではないかと思うくらい。

ごくせんではじめてみた玉森くんはそんな残念な存在だった。

それが、イケメンですねにキャスティングされ

調べれば調べるほど嫌いだったあの頃の金髪が愛おしく

キスマイという7人のデビューまでの絆、努力、ファンと歩んだ道が全てが

輝いて一緒に応援したい、支えたい、守りたいと思いようになっていた。

私が人生で初めて買ったCDもアルバムもDVDもファンクラブもファンレターも

もちろんコンサートも

全部全部はじめてはキスマイだ。

出演するテレビは片っ端から録画したし、ドラマは永久保存。

シングルは1枚目から13枚目まで全て初回限定盤。

オリコン1位や視聴率を気にして一喜一憂していたし

キスマイってなにかと風当たりが強くて

良くないことを周りに言われるのも最早日常茶飯事だった。

スルーする技術も、自分に愛を貫く強さも

この時代に学んだのかもしれない。

中学生3年生から高校、大学1年まで地元に2年連続コンサートに来なかったことが

決定打となり俺足族からひっそりと退くことになった。

それでも、たまに聞く北山くん、藤ヶ谷くんの歌声はどんな上手い歌手よりも

耳馴染みがよくて心を落ち着かせてくれるし

今ではすっかり同じ色の衣装になり個々ですでにメジャーとなった

彼らの活躍と仲良しな姿を見るととても懐かしく嬉しく優しい気持ちになれる。

学生ながらに全力で私の中にある愛の全てを

捧げたからこそ完全燃焼でオタ活の第一章の幕を閉じれたのだと思う。

私のはじめての推し、キスマイ7人とともに歩んだ俺足族には感謝しかない。

 

キスマイを推しと断言しながら

高校時代から韓ドラは私の日常に溶け込み始めていた。

ただ親には共感を得ることができなかったため

親が寝静まった深夜に録画した韓ドラを着々と消化していた。

家族も含め、友達にも共感できる人はいなくて本当に孤独の戦いだった。

オレスキ、屋根部屋のプリンス、シークレットガーデン、太陽を抱く月、、

この時代の有名どころは全て見尽くしたのではないかと思うくらいたくさんみた。

 

そして本格的にKPOPに出会うきっかけになったのは

ドリームハイだ。

元々中学の友達がKPOP第一世代が好きだった影響で

東方神起、2pm、少女時代、KARAの有名どころはちゃんと押さえてたし

各グループ推しメンは仮決定くらいの軽い気持ちで表上は公表したりしていた。

 

だから2pmのテギョンを目当てで軽い気持ちで観たのが

推し活第二章、韓国への扉の開幕だ。

 

そして人は何度も同じことを繰り返す。

実は中学の時代にドリームハイは見たことがあったが

最初に提示した通り、私の女神スジ様が

ふっくらしている姿がどうしても納得がいかず好きになれなかったのである。

そう、前推し玉森くんと同じ手口でハマっていったのである。

 

気づいた時には

もうスマホには可愛いスジの画像集めが始まっていたし

スマホの壁紙やラインのアイコンはスジ様になった。

当時、missAというアイドルグループだったけれども知っている曲は1曲くらいで

アイドルのスジではなくタレントのスジに惚れ込んだ。

 

スジからJYPの事務所の箱推しになり

ドリームハイ2の影響も相まって

got7が私が推した初めてのKPOPアイドルとなった。

7人、面白さや素のわちゃわちゃがどこか当時のキスマイと重なる部分があって

推すことを決めた。

異国の人を好きになること、ファンにになる覚悟はあるか

何度も自問自答しながら、それでも彼らのかっこよさと面白さと

そしてKPOPのパフォーマンス、mvの質の良さに

ハマっていく楽しさがリスクよりも随分と勝っていた。

もちろん韓ドラを見て数年も経っていたが韓国語が理解できるわけもなく

歌詞の意味もわからないままただメロディーとmvだけでお腹いっぱいだった。

だからCDかったりファンクラブに入ったりとかはせずに

ネット上で娯楽として楽しんでいた形だ。

 

got7から

ドラマに出てるKPOPアイドルが気になり始め

INFINITE、IUとにわかファンになり

 

got7から派生して

大学生になりtwiceにハマり始めた。

大学生になりやっと韓国好きが身近にできて

普通にKPOPの話ができることに戸惑を感じながら

オープンになれるようになった気がする。

got7、日本人メンバーがいる

それでtwiceを知った分際のため実はsixteenをちゃんと見たことはないし

twiceの完成形からしか知らない。

 

キスマイの時は彼らの全部が知りたいと

デビュー前の動画や作品、コンサートも片っ端から勉強して

ファン歴に負けないくらい全てを解りたいと躍起になっていたが、

KPOPという未知の世界に飛び込んでからは

ある意味、言語もニュースもこっちから知ろうとしなければ

なかなか入ってこないし、知りたいこと、見たいことだけを

選択して楽しむという方法を学んだ気がする。

そしてスジとはまた違って

女の子アイドルにハマるというはじめての経験だったため

自分がこんなにも同性に対してキラキラ憧れを持って応援できるんだ

好きになれるんだって、異性を好きになるとは違った

ときめきを感じることができた。

 

twiceのメンバーでも推しがなかなか定まらず

ツウィちゃんからナヨン、ミナと迷いながら

今はサナちゃんでここ数年は落ち着いている。

当時はカムバ時期にはYouTubeでmvや音楽番組を

しっかり追ってたけど学生に本分が忙しくなるにつれ

KPOPや韓国ドラマの熱が平温に落ち着いてしまっていた。

このちょっと落ち着いた時代に

長年韓ドラ好きの私が夢にまで見た初渡韓を果たすのであるが

熱が冷めかけていた頃のため、

わざわざ韓国に行くモチベーションを上げるためだけに

韓ドラを義務的に見始めたのだが

そこで太陽の末裔、雲が描いた月明かり、w、青い海の伝説、麗、、

ただのベタベタのラブコメから進化した韓国ドラマ、

そして塩顔背が高いイケメンに

引きずり込まれてしまったのである。

なんてチョロいんだ、自分。

 

韓国旅行では

夢にまで見た韓服を着ての景福宮巡り、

屋根部屋のプリンスでお馴染みの路上美術館、

相続者たちのドリームキャッチャーのお店(エッグタルト美味しかった)、

参鶏湯、韓国チキン、サムギョプサル、、

韓国熱が再燃しないはずがない。

そこから韓国ドラマ、KPOP、韓国の俳優さんに

心を持ってかれる日々が始まったのである。

 

ただ、学生の本分の方もまあまあ忙しかったので

自分の生活を維持した上での娯楽としてのオタ活が始まったのです。

昔はファンである私、すべてを捧げなければファンとは名乗ってはいけないという謎の義務感、、

純粋に好きな気持ち以外にもいろんなことを背負ってファンである私を作り上げていた気がする。

それが、娯楽、癒し、、たかがファンじゃん

くらいの軽い自分主体?ある意味自己中のオタ活が始まります。

 

ついに来ました!!

推し歴史、第三章:BTSとの出逢い編です。

 

花郎

何を隠そうパクヒョンシクくん見たさです。

家族なのにどうして?ではふーんくらいだった彼が

相続者たちで、ほーーん、かわいいなぁくらいだった彼を

少しずつ気になり始め、、

 

その間にもきっとたしか

パクボゴムやジニョンくんからのB1A4、キムジウォンちゃん、、カンハヌル、ナムジュヒョク、ソガンジュン、、

にわか好きは広がっていました。

 

ただパクヒョンシクはそんなに好きな顔のタイプではないはず、、

まだそこまで日本での知名度はなかったはずだし

韓国でも主役ってまでの人気や地位もなかったはず、、

それに私が見ている役も主役級ではなかったはず、、(相続者たちのとき)

なのにどうしてこんなにも気になるんだろう、、

 

好きの始まりは

興味です。

断言しましょう。

 

そしてある時、ふと気づいてしまうのです。

彼の外見は

私が過去に好きだった顔を全部持ち合わせているどタイプの人なのではないか!!と

雑食人間であるため

正直、自分の好きな顔のタイプがわからなかった。

可愛い系の、瀬戸くん、千葉雄大玉森裕太、志尊くん

背が高くて塩顔系の、ナムジュヒョク、坂口健太郎、ヨンファさん、キムスヒョン

韓国系の切長な目が魅力な、got7のJB、ジス、ソイングク

王道目がぱっちり王子様系イケメン、パクボゴム、キムヒョンジュン、山P、赤西仁、三浦翔平、山崎賢人

スポーツ好感度高い男子、竹内涼真

 

切長な目も、ぱっちりな目も、垂れ目でかわいい系も

かっこいいスポーツ男子も系統別に好きがいっぱいだったため

それを全部含んでると気づいた時にの衝撃たるや!!

私史上最大の世紀の大発見でした、、、

 

塩顔イケメン要素のすらっとした骨格、鼻筋。

可愛い系男子の垂れ目とわんちゃんみたいな表情。

役や服装によって品があってどこから見てもカッコいい紳士。

真剣な眼差しのときの魅力的な目。

パクヒョンシク万歳!!!!

それに加えて、背が高くて声が好き。

そしてどの役も魅力的でいいドラマに巡り合っている印象。

 

今まで推しや好きな俳優はいたけれども

リアル彼氏枠は彼だけの称号です。

 

そんなヒョンシクの魅力を知ってしまったら

花郎は観ないという選択肢はないでしょう。

ヒョンシクのために見始めたドラマ。

え、OSTめっちゃすき!

へぇーvとJinが歌ってるんだー

あーハンソンか。

ハンソンね。BTSのメンバーね。

あれ、時代劇姿より現代の姿かわいい。ノムキヨ!!!

 

このタイミングで

あのmステです。多くの人が気になったであろう

DNAのパフォーマンスです。

実は、パフォーマンス自体は見てなくて

話題のトレンドで、

ファンの掛け声が凄く頑張っていた、ありがとう、、

こんな内容が多くて。

KPOPの掛け声文化はよく知っていたので

たしかにあのジャニーズファンが多数を占めている中で

声を集めて届けたアミは伝説だと思う。

DNAもYouTubeの広告で流れていたのを

何回もスキップした記憶がある程度。

あの茶髪ジョングクの瞳を何度もスキップしてた。

だからきっと話題になっていただろう時期に

私は同じ時期にデビューしたgot7をひたすら追っていたので

びっくりするほど彼らをスルーしていたのです。

きっと知ってしまえば沼だってことを

感覚的に察知して意図的に避けてきたとも思えるくらい

全く知らない存在だった。

 

でも、気になったら調べるしかない。

曲、mv、VLIVE、、ネット情報、、

彼らの性格、ファンダム、、

調べれる限りひたすら調べて

また自問自答。

第一印象は暗くて怖い。

ヒップホップだからdisりの歌詞だったり

mvの独特の世界観が今まで好きだったアイドルのキラキラ感とは

全く異なっていて何を信じればいいのか、

その反面、彼らの作る音楽、メッセージ性が心を掴んで離さなかった。

 

私がグループを推すときの定義は

全員を好きか。苦手な人が1人でもいれば推すとは言えない。

きっとどこかで全力では推せないから。

たとえ苦手なところがあったとしても、

好きな面がひとつでもあればそこにフォーカスをあてて好きでいれるから。

 

そして当時、アミの印象はよくなかった。

いい噂がないくらいネットではひどい言われようだった。

そこに入る覚悟はあるのか。

 

メリット、デメリット

色んなことを考えて覚悟を決めて

armyになった。

今は、当時よりもずっと温かく優しい気持ちで彼らを愛していると言える。

そんな覚悟とか、そんなことよりも

ただ彼らの幸せと健康を願う存在であればいい。

気楽に好きでいること、そんな私自身を好きでいること、幸せになる権利があること

全部彼らから教えてもらったことだ。

そして彼らを愛する素敵なアミから教えてもらったことだ。

 

すぐにファンクラブに入ったけれども

昔みたいに何でも貢ぐオタ活ではなく

映像で十分だった。

 

そして何の迷いもなく

人生初遠征、ぼっち参戦に臨もうとするのだが

忘れもしないあの悪夢の時期である。

心ない報道され、コメントをされ

全てを否定され続けた。

真実を映すメディアはひとつもなかった。

擁護しようとするアミは片っ端から折られ続け

何をしようとバカにされ傷つけあった。

私はリアルに1週間くらい体調を崩した。

韓国ドラマやKPOPが日常だった私の生活が崩れた。

韓国語を拒絶したし、コンサート直前なのに彼らの音楽が聴けなくなった。

正直、2日目参戦で当日入りの予定だったから

飛行機もとってたけれども

何が正しいのか、体調も万全でないし行くべきか前日まで迷っていた。

そんな1日目の終了後、レポでの

彼らのコメントやアミのFORYOU、事務所からの公式文。

全てが晴れた。

体調は不安定だったけれども

彼らを信じて、信じ続けたアミの存在が私の正解だった。

なにも迷うことはない。

相思相愛の私たちがいる

その事実が真実なのだと。

急いで荷物をまとめ、参戦服を決め、

彼らと彼らを愛するアミが集まる元へ

空を越え、海を越え会いに行った。

当時、Twitterもやってオタ垢でやってなかったから

アミ友ももちろんいないし不安だった。

でも、会場に入り扉の中に入った瞬間、、

涙が出るほど、鳥肌が立つほど感動したあの瞬間を、景色を

私は一生忘れないだろう。

いろんな感情を持ち合わせたコンサートは

想像の何十倍もかっこよくて

もう一生ついていこうと心に決めた。

それほど彼らのパフォーマンス、アミへの愛は強烈で誠実で熱かった。

 

それからTwitterでのアミとの交流の楽しさを知った。

今までずっと1人でオタ活をしてた私の新たな世界だった。

しかもBTSは世界中のアミとの繋がりが強かった。

いろんなアミがいることを知った。

絵が上手いアミ、作品作りが上手いアミ、字幕編集が上手いアミ、情報収集がすごいアミ、

女子力が高く憧れのお姉さんアミ、惚れ惚れするほどの文才アミ、同世代アミ、、

BTSだけではなく

アミからの影響も今の私には大きいし出逢えてよかった縁のひとつだ。

 

次の年のコンサートも

ぼっち遠征、ぼっち参戦だったけどsnsの力で

寂しくなかったし

帰りの新幹線で隣の初めましてのアミさんと

オタクトークできたのがすごい嬉しかった、、、

 

そして仕事で壁にぶち当たり

正直いうと精神疾患に片足を踏み入れていたとき

(きっと現在進行形でそんな心と付き合っていく不安定な状態は変わらずだけど、

もっとも苦しかった闇しかなかった時期)

 

Weverse っていうファンサイトに

ただ何となく逃げ道のないこの辛い現実と

弱い自分の励みになればいい、少しはきだしてみようと

ぽろっと書いた投稿を

多くのファンがTwitterでいういいねを押してくれていたこと

日本語で投稿したのにも関わらず韓国のアミが韓国語でメッセージや

もちろん日本のアミも素敵な温かいメッセージを

見ず知らずの私に真摯に返してくれたこと

びっくりとその言葉に背中を押されて

部署移動を申し出て新たに始め直すことができた自分がいる。

人生の大きな決断を託してしまうほど

彼らや彼らと共に生きるアミに私は影響を受けているのだなぁと

 

もちろんきっかけに過ぎないし

決めたのは私だけども

凄く心強く思えたのはそのとき応援してくれたアミのおかげに違いない。

 

長くなりましたが

そろそろ終わります。

 

ただテレビを見ていた私が

かっこいいなぁ止まりだった私が

 

興味を惹かれ全力で愛するということから

ファンという称号にこだわらず

ただ大切な人の幸せを願う尊さ、

そして自分の幸せを信じる大切さ。

 

オタ活の終着点はそれに尽きる気がする。

みんなが幸せになる。

私が幸せでいること。

 

こんな雑食人間だから

まだまだ推しは増えたり減ったり変わっていくだろうけれども

ここ3年くらいは軸がぶれていないので落ち着いていそう。

 

でもね、心が思うままに

心が惹かれるがままに

私に推しごとは続いていきます。

 

推しのいる私たちよ、

全員に幸あれ。