明けない夜を願う夜に

 

自分の世界が壊れ始めてやっと気づくんだ。

 

おじいちゃんが亡くなる時、

コロナのせいで会いにいくことが許されなかった。

面会にも制限があってみんなで顔を合わせることができなかった。

こうやって、最後を寂しく別れざるえない状態なのだと。

 

なんなら、入院すら制限されているのかもしれない。

 

そして、今月に入って

自分の職場もついにといった段階になった。

 

今年度の目標を提出して

3年目、まだまだ力不足だけど

それでも限界まで頑張ってみようか、

挑戦するには絶好のチャンスなのではないかと

ちょっと期待しながら。

 

でも、そんなことよりも

目の前にことに立ち向かわずにはいられない状態になった。

 

たくさん甘えていたことに気付かされた。

 

下っ端かと思っていたけど

気づいたら下を引っ張る立場に押し上げられていた。

 

 

知らない環境、慣れない環境、知らない人たちと。

 

適応障害発症しそうだよ。

またかよ。って。

 

通勤中の地下鉄で涙が溢れ

死んだように、心を殺して夢中で仕事をし

帰りの電車で無心で涙が溢れる。

 

感情を失ったはずなのに

涙はポロポロ溢れるのだ。

 

そして、今日の復習と明日の予習を頭に叩き込み

クタクタで死んだように布団になだれ込む。

 

それでも不安で眠れない。

 

マメ電球の光をぼーとみながら

このまま目を瞑ったら

一生開くことがなければいいのに。

 

この世から命が消えるとしたら

私の番だといい。

 

自分で自分を殺すのは怖いけど

生きていく自信もない。

だから、

眠るように、溶けてしまえばいいのに。

 

いくつもの夜をそうして恨みながら沈んだ。

 

コント:「○○○さん」

って。

コスプレだと思って、

芝居だと思って。

 

カウントダウンもした。

あと何日。

 

今はそんなカウントダウンをずっと超えて、

○○○さんを続けている。

 

明けない夜を願うこともほとんどなくなった。

 

明日も待っている仕事と人がいるから。

明けない夜なんてないし

起きたら行かなくてはならないから。

逃げるという選択肢はないし

行かなくては。

 

真っ暗な部屋で眠れるようになったし

最近は帰宅してから寝るまでの時間も楽しめるようになった。

 

日記も書いているし

筋トレもしてるし

YouTubeも見て

Netflixだって。

 

そして、ちゃんとメイクして好きな服着て

できる限りルンルンな気分で外に出られる。

 

コロナのせいで

休日を満喫はできないけど

 

それでも自分をきちんと休ませてあげられている。

 

それが嬉しい。

 

人らしく

ちゃんと生きれるようになってきたタイミングで

まさかの

 

また環境が変わるというね。

 

じわじわとことの重要さに気づいて

怖くなるし

でも、なるようにしかならないし

私は任された仕事を

役割を果たすしかないのだ。

 

 

耐えよう。

 

去年1年間、たくさん育ててもらったから

それを返すつもりで。

守ろう。

 

 

そんな大きなことはできないけど

私にだってできる。

できるよ。

 

現状も怖いし

私自身がストレスとかでまた心が壊れるんじゃないかと

適応障害拗らせるんじゃないかと怖くなる。

 

それでも、

ちゃんと生きようね。

 

大丈夫だから。

この1年間で随分強くなったよ。

優しくなったよ。

 

だから大丈夫。

そう言ってあげよう。

 

いつまた戻れるかわからないけど

それまで耐える。守る。

 

 

戻ったら頑張りました、頑張れましたって。

ちゃんと胸を張れるように。

しっかり一つ一つがんばろう。

 

まずは今日、明日はきちんと自分を

休ませてあげる。

 

 

でも、頑張りすぎないこと。無理しないこと。

 

人と比べないこと。

私が辛いなら、辛いんだから。

 

誰と比べてではなく

私の中でいっぱいいっぱいなら

それは辛いんだから。

 

それは受け止めてあげよう。

 

自分の頑張りや苦しさを無視しないで。

 

頑張っているなら応援するし褒めてあげるし

苦しいなら、一緒に泣いて休ませてあげよう。

 

 

 

今日も大変な世の中だけど

ご自愛しましょう。